躾と習慣仕事上、会食の機会がちょこちょこあります。 その後、誘惑に負けて博多天神でラーメンを一杯。 飲酒後の深夜のラーメンはよくないとは分かっているものの、ついつい…。 でも、やっぱり美味いです。 その時、隣りで食べている男性の食べ方が、すごく気になりました。 くちゃくちゃ音を立てながら噛む食べ方。 たまに見かけますよね。 あれ、すごく気分を害します…。 本人にとっては、習慣というか当たり前のことなので、 何とも思っていないのでしょう。 躾の問題です。 それを見た時、ふと思いました。 端から見ていると、一般的にはマナーが悪く、 その点を自覚している自分は、「きたない食べ方だなぁ」とか 「親の躾が悪かったんだろうなぁ」と思うことができます。 (善悪ではないので、言い過ぎかもしれませんが) これを思考OSの観点で考えると、意識的無能状態の自分を、 無意識的有能な方が見ると、「なんでそんな考え方をするのかなぁ」とか、 「もっとこう直せばいいのに」と感じるのかもしれません。 つまり、 無意識的無能の状態だと、本人にとってはそれが当たり前であり、習慣である。 (問題意識さえ持たない) 本来は悪い習慣がつく前に躾が必要である。仮に習慣化してしまっていても、 直す(=躾ける)ことで習慣は変えられる。 躾けることができるのは、あるべき姿を知っている人(=親に相当)である。 ということかな、と。 少しずつ、「具体」と「抽象」という概念で物事を解釈する癖が ついてきているように思います。 |